Saturday, January 30, 2010

国際金融機関債ファンド

端くれになりそうかなと思い、外債というものに関心をもつようになり、グーグルしてみました。

元々は、昨年に注目を浴びていた印象のあるワクチン債、マイクロファイナンス債など、人々のLivelihoods向上へ繋がるような債券の購入を考えていたのに、時期を逸したよう。

ただのこだわりでしかないと思うけど、やはり開発に携わる人間として、自分の仕事に係わる債券を購入したいなぁと思っていたところSBI証券のHPに辿り着き、「国際金融機関債ファンド」を見つけました。


金融の知識もなく、経済の知識は怪しいばかりな私のファンド道、遂に幕開け、かな?

Thursday, January 28, 2010

援助の仕組み

Aid effectiveness

何を以て「効率性」とするか。
私が考えるAid effectivenessとは

人々のニーズにあったサービス或いはモノを、タイムリーに(必要なタイミングで)届けることが出来る仕組みが叶うこと

そのサービス提供を実現するプロセスにおいて、サービス裨益者も含めて当事者たちが、自分でManage出来るようなCapacityとCapabilityを兼ね備えることが出来ること

かな、と思う。

でも、Aidというのは、政府間同士で行われるものが多いし、インフラ事業に至っては土地の利権も絡むし、上の二つを実現することはとても大変だと思う。

政府間同士とはいえ、実際は各々の政府内のプロセスにもいろいろと時間が掛かってしまっているのが実情だろう。そのプロセスが、本当に果たして必要なものなのか、この議論はendlessだと思う。


援助機関は日々凌ぎを削って、資金・技術援助が出来る隙間を探している。
一方、その隙間が果たして「出来てしまって、埋めなきゃいけない隙間」なのか「放置していても、社会経済的に、文化的に問題ない隙間」なのか。仮に(幸い)前者であるとして、その隙間を埋めるのにどれほどの時間と資金が本当に必要なのか。


既に知見と経験のある方々によって何度も繰り返し議論されてきた内容になってしまいました。
「国際開発に関する一考察」な今年、まさに、自分の思う方向性を環境の変更と共に決めていく時期なので、敢えて「既にみんなが思っていそうなこと」へ戻って、軌道を確認したくなりました。

Aid effectivenessって、支援機関同士のオーバーラップを防ぐ、というのではなく、どれほど裨益者になる方々の負担を少なくする、というのが究極なのかも、と30分くらい頭の中をちょこまかしながらやっぱり思う。実際、同じ地域の開発事業が重なった場合、先方政府や裨益者は事業にお付き合いするための時間ばかりが増えて、結局彼等自身のMissionsが達成できていないのではないかと懸念しているためだ。裨益者としては、微妙だよね。

Wednesday, January 27, 2010

私の周りのかっこいい人たち

何かやりたい!人々のLivelihoodsに少しでも貢献できることを。

それを考えるのはもはや日常になりつつあるけど、既にこつこつと積み重ねて素敵な花を咲かせ始めたCoolな人たちがいる

Kopernik
http://thekopernik.blogspot.com/

Hasuna
http://www.hasuna.co.jp/


私は何が出来るだろう?

組織人として?
個人として?

そして、どこを基点にする?

Tuesday, January 26, 2010

But....

International Consultantの立場で働くとはいえ、現地語に長けているわけでも、現地の政府の仕組みやFormalityに通じているわけでもない。

となると、胆はやっぱり、現地語が話せて、風習も文化も身体になじんでいる現地スタッフ。

これとこれを集めてね!

とリストにするも、

But・・・・(何で集めなきゃならないの?)が多いスタッフさん。
何故必要なのか、納得しないと次の行動、確かに難しいよね。だから「必要だから」とは口が裂けてもいえまい、彼の質問に全く答えていない答えだ。


しかし、1つの資料を集めてもらうのに、そしてそれをヒアリングのプロセスを含めながら集めることが必要な場合、

Statistical Data

Information obtained through interview

をごっちゃにならないよう、説明を長々するのはなかなか。
しかも、情報が全て!な分野を担当しているため、ずっと説明しているかもしれない、わたし。

ちゃんとした仕事を残すためには、どうしようもないのだ。
集めてもらうために、求められることに対しては、精一杯の努力をするしかない。


郷に入ったら郷に従え、住めば都、これを常に胸に留めております。

Sunday, January 24, 2010

ラオスの不思議?

ラオス滞在も1ヶ月を切りました。

コーヒー屋さんに入ってコーヒーを待っていると、必ず冷たいお水付でサーブしてくれます。
コーヒーの他にパン等の軽食を一緒に頼むと、それにもお水をつけてくれます。

だから、コーヒーとパンを頼むと、4つのものがサーブされてしまうわけです。

仕事のためにコーヒー屋さんを使うことが多いので、資料の隙間に4つが組み込まれる状態となり、一気にこみこみテーブルになってしまいます。

最初、お断りしてはダメだよなぁ、ご好意だものね。

と思っていましたが、お水はそんなにがぶがぶ飲めませんので、お水を断ることにしました。
最初、かなり不思議な顔をされましたが、常連のため?か、そのうち「断るけど、一応、持ってきました」という感じになりました。


お水はおもてなしの心の現われなんですよね、本当は。

Saturday, January 23, 2010

トラフィッキング

ハイチの大地震で、病院へ収容された子供たちが姿を消しつつあるという。

何故か。
Traffickingが起こっているから。

必ずしも、それだけが原因ではないだろうが(例えば、親御さんが自分の子どもを偶然見つけて、一緒に帰ってしまったとか・・・・)、確かに親御さんやご近所さんの保護がなくなってしまって独りになってしまったら、判断基準がまだ不安定な子供は、何にすがり、何の声に従えばいいのか、分からなくなってしまうかもしれない。

Traffickingは、交通セクター開発でも問題視されている。
人の車輌による出入りが多くなるだけでなく、ガムとか小さな小さな小物の商売の機会、人が集まることで自然に出来る盛り場等の場所が生まれるから、道路開発等は、利便性がよくなるだけではなく、人の流動をあらゆるスケールで増す。


開発事業だけではなく、途方に暮れた被災地という真逆の状況下でも、起こるものは起こるのだ、という当然のことを初めて知った。


「子供の権利」


いなくなってしまった子供たちにこの言葉と本当の意味が届くのはいつのことだろうか。

Thursday, January 21, 2010

Environment

非常に微妙な言葉。

私が今居る国は、法整備だけは立派だけど、それを管理する側がなっていない。
ハコが先にできて、中身が空洞、みたいな。だから、管理を担当する側は、

えー、何か報告書書くの?いいよ、書いていいよ。必要なら見てあげるよ。

みたいな......

ひたすらジレンマ。Urban Environmentも、Climate Changeも、EIAも全部同じEnvironmentカテゴリーになってしまっているので、一緒くたに訊かれても、


わからんし!

というか

一緒にしちゃ、まずいでしょ!


ハコつくりやハコにこだわるのも必要だと思いますが、ハコを扱う側の状況が置いてきぼりだよね。

Wednesday, January 13, 2010

若手であること

賛否両論あると思いますが、若手であることの醍醐味というのはやはりずばっと知らないことを伺うことが出来ること。

国際開発分野に寄り添うには、今の私の環境はかなり努力が必要なので、国際開発について幅広く議論している本として、今までジェフリー・サックス氏の著書を主に読んでいたが、今回のプロジェクト(今はラオスにいます。南部周遊中+風邪気味・・・・)で、ウィリアム・イースタリーの本をご紹介頂きました。

早速 傲慢な援助(オリジナル題名:The White Man's Burden: Why the West's Efforts to Aid the Rest Have Done So Much Ill and So Little Good) を購入。ルワンダ中央銀行総裁日記(増補版)も。

自分の持ちうる経済的余裕や時間には限界がありますが、こういったことにはアンテナをびしびし立てて生きたいもの。自分の能力の上限は高が知れているので、自分の仕事の質や捉える幅を少しでも先輩方に近いものとするには、本などで自分を拡げる必要がある。

Saturday, January 2, 2010

EarthとWorld

明けましておめでとうございます。
今年はもう少しこちらへ足を伸ばしたいと思いますので、宜しくお願い致します。


新年早々、いきなりですが・・・・
EarthとWorldの違いを時々思い出したように考えます。

恐らく、物質的には同じものだと思います。Worldは人で構成されているイメージで、Earthは自然(Nature)で構成されているイメージ、それが私の直感的な表現でしょうか。では、EarthとWorldの関係性を考えてみようと思って考えると、Earth(地球)という場所にWorld(世界)が展開され、世界は地球にあるものを利用して廻っている、のかなという結論でした。
WorldはEarthに助けられているような気がしてきました。

私の視点は「Livelihood(自訳:人々の生活能力)」にいつもあるので、国際開発を生業としている私はWorldへのアプローチを主軸としていると思います。一方、Global Warming等のトピックを目にすると「Earthを捉える」視点がどうしても求められますし、自身がその視点を欠落していることも強く実感します。

World-orientedな視点だけではなく、Earth-orientedな視点も持つようにしなければ、と思うお年始@東京です。