Wednesday, April 30, 2008

国際協力という場で起こる小さなつぼみ、どこにある?


マダガスカル、パレスチナでは農村地域の女性所得向上と名打って、小さいながら、ある地域に特化したパイロットプロジェクトを担当させてもらった。
マダガスカルは入社1年経ったときのこと。そのときのリーダーや上司たちに感謝だし、パレスチナで関わった2案件のそれぞれのリーダー、副リーダーは本当にすごかった。いずれ・・・の目標は、あの方々だ。

マダガスカルでは改良かまどを、パレスチナではオリーブ石鹸を道具として、女性の生活向上支援を行った。その支援のやり方については、数々の先駆者たちの記録に到底及ばず、ここはカット。
その過程で発見したことと、国際協力におけるコミュニケーション(もはや、援助という、お金や技術を持っているか否かの分類を排除せざるを得ないので、この表現)の1つとして、

おしゃれ

が、あると思う。

おしゃれ、は個人の嗜好が左右するものだし、それは生活の付属的な位置づけになっている、と書面上は理解するけれど、どこの地域でも、女性たちは出来る範囲でキレイにしていて、丁寧にもてなしてくれる。
こちらも、砂埃とぬちゃぬちゃの泥の地面をわしわし歩くので、ピンヒールとかはあまり履けないけど、あとで拭けば何とかなるわと思って、出来る範囲での身支度で行くと、女性たちのチェックがしっかり入る(そして、ときにダメ出しされる・・・・・)。通訳を介してだけど、おしゃべりとか面白い。

男性もしかり。パレスチナはイスラム圏なので、男性たちは、会議などに出てくるとき、頭に巻く布や杖などにも気を使い、ジャケットをきちんと着こなしてくる


そして、一緒にわめく(はい、どうしようもなく紛糾してしまい、机をバンと叩いたこともあります・・・・)


政策的観点からみたら、本当にささいなものだけど、資金も何もつく問題ではなく、個人の考え方が大いに反映される事柄だけれども、こういう日常的に必要な装いなどでも、小さな小さなコミュニケーションは成り立ってくる。

そして、それが積もり積もると、ある時、突如花開くのだ。
知識の花だったり、ビジネスの花だったり、生活の花だったり。

インフラのココロ


支援金額拡大の他、民間企業との協力「官民パートナーシップ」もクローズアップされつつある現在の
日本ODA。支援金額の額面において、世界における順位を下げたという数値情報のインパクトは、大きかったことが窺い知れる。

「官民パートナーシップ」という言葉に出会ったのは、修士論文のとき。
そのときは、PFIという言葉が、日本の建設マネジメントにおいて、注目されていた。どのように民間企業とタイアップして、公共施設(ハコモノ)を安く質よく早く建設し、維持管理においても質(サービス提供のハコモノであれば、そのサービスの質も)を高めるか。

私は、そのときに既に途上国で仕事をしたかったので、途上国の電力セクターのおける官民パートナーシップの適用方法というお題で、官民パートナーシップというところへ入り込んだ(深みにはまった、というべきか)。コンセプトは、「そのパートナーシップで、一般市民がどれだけハッピーな結果を得られるか」で、そのハッピー基準は、どうしようもなく、電力料金・・・・・だけ( ̄δ ̄)ノ
メンターには、User-friendlyというかわいい名前を、研究タイトルの一部としてもらった。

最終的には、周辺環境や官民間の契約上に潜在しているリスク分担の分析に収束した。


日本のニュースをインターネットで見ていて、「ODAにおける官民パートナーシップ活性化」という言葉を見ると、自分のみた「官民パートナーシップ」と違うように感じる。政策的な面から掲げているテーマだからだろうか。私の研究は、一般市民の生活によりフォーカスするやり方なので、政策と市民間のギャップが大きければ大きいほど、そのギャップには、政治的、経済的、社会的不確定要素が多く存在するから、異なるように感じるのかもしれない。たまに、そういった要素が見えなくなる危険を、私の研究のやり方ははらむな、と気付く。


そのような研究を曲りなりにやって社会開発を学ぼうと決心を、とある恩人にお伝えしたとき、

インフラのココロを忘れないでください

といわれた。

最近、この言葉をよく思い出すのは、インフラ回帰の警鐘だろうか。

インフラは、広義にも狭義にも理解できるが、詰まるところは、よりよい社会を作るための道具、と相当大雑把に理解すれば、一応、まだ道を外してはいない・・・・・・なぁ

Monday, April 28, 2008

Social Protectionなるもの

Social Protectionとは何ぞや。
日本でいえば、社会保障制度、に相当するシステム。
日本の社会保障制度と、(経済的)途上国における社会保障制度(Social Protection)の違いは何だろうか。

後者のほうがより、生活の基本を守る、という色が強いようだ。そして、その守るツールとしては、やはり主産業の農業やそれに派生する産業から生み出される産物、例えば農産物を売ったお金、或いはそのお金をシードマネーとしたMicro Financeだったり、農業活動を共同ですることで生まれた社会ネットワークだったり。或いは、日常生活において必要最小限の食糧を購入するための補助金給付だったり。
地元コミュニティが、政府やドナーによる最初のInstructionと数サイクルのフォローアップで立ち上げ、自力で続けていく方法と、中央、あるいは地方政府の資金給付やモニタリングによって続く方法と。

両方の方法に賛否両論があると思うが(それをクリアにするのが、今の私の仕事ですが)、各政府のできることを最大限に活用しつつ、各市民の持つ力を自身の日常を守る力へ如何に繋げるか。
この世には様々な資源がある。でも、有限のものはすぐに消費へ着手され、いつもそれら資源を如何に持続可能に利用するかが話し合われている。無限に近いといえる資源はなにか、それは、この世に生きている人々そのものだと思う。だから、もし、自身の日常を守る力をパワーアップさせるのに必要な取り組みとして、社会保障制度が取り上げられるとしたら、私はできる限り、無限の資源を有効活用するよう、頭をひねりたいと思う(いま、ひねり中で、しかもここで気分転換中・・・・)。


話はそれますが、修士論文のために読んでいた、幸福と経済のペーパーでは、

人の幸福は、収入やその国の経済力に拠るところがあるが、それがすべてではない
(実際に、日本はGDPが前世紀後半でかなり延びているが、Life Satisfaction指数は大して伸びていないことが証明されている)
社会における自身のプレゼンスを大きく表せる程、自由度が高いほど、幸福度が高い。

という2点が指摘されていた。2点目はもっともだと思う。

生まれて育つ土地で、人の自由は大きく左右されるけれども、それは仕事でも見てきてやるせなくなることが多々あったけど、でも、有限の自由の中で、どこまでその自由を豊かに利用して、各人のもつ力を引き出すことができるか、その土地と一緒に考えるのはわくわくします。

その作業そのものが、Social Protection、といえる・・・・(かなり広義かも)?

Sunday, April 27, 2008

自分の立ち位置を確認してみよう

人の生きる社会は本当にいろいろな要素が絡み合っているので、開発へ取り組む上で、どんな形でどんなやり方でどのセクターで携わっていくのか、考えてみようと思っています。
(そうしないと、数年前の状況が再び起こりそうなので)

つまりメインの柱をがしっと立てて、サブ、サブサブな分野を拡げていくという段階にきているということでしょうか。

イギリスでは、サブやサブサブな分野を目一杯拡げてもらっている気がします。
先の投稿の農業、今抱えている課題の「Social Protection」もそうです。
でも、人間の生活「Lives and Livelihoods」という軸を自分は無意識にくずしていないなぁ、とポンと気づくときがあるので、きっとそこが私のメインの柱なんだと思います。

じゃ、人間の生活、という分野へどう踏み込んでいくか。
食糧?教育?保健医療?
全部大切なんですが、なにか違うような気がします。こう、頭でもくもくしている感じですが、それは修士論文を進める過程できっと明らかになるのだと思います。

修士論文はメインの柱強化につながりますが、残りの4ヵ月強、サブやサブサブな分野開拓にも励んでいきたいなぁ
おそらく、ここは、その分野における新発見の備忘録であり、メインの分野については付属的な感じなりそうな




そして、金曜日の試験「AgricultureはどのようにPoverty Reductionへ貢献できるか。その条件は?」にて書いた回答・・・・
時間配分を間違え、「条件」にあたる部分があまり自分としては納得いかないものになってしまった。

私の書いた回答は、簡単にいってしまうと、
農業セクターのPrimarySectorとしてのポジション強化を重視した政策作成、予算編成+(国内外からの)予算取り、International+Localマーケット形成とそこでの競争力強化において、Development Intervention(援助機関による支援事業)は不可欠である、というもの。他にも形容詞的な表現(Sustainableだとかそんなこと)を書いたと思うけど、忘れてしまった。


そうなのだろうか?
自分の書いた回答にいまさらダメ出しをするのはいかがなのかと思いつつ、考えてしまう

支援を如何に受けることができるか、その戦略などを考えるのは、経済的途上国が自国の経済レベルを(底)上げするために必要だと思うけど、当然のことながら、それだけでは続かない。自身をどのように保護し、保護しきれないものは何なのか考える過程が大切だ、とはいえるが、それは如何にも机上の論理っぽい。


今の食糧危機について考えたら、まだそれに関するインプットが追い付いていないので、また頭がぐるぐる
ヽ(  ̄д ̄;)ノ

Friday, April 25, 2008

貧困削減のまわりにあるもの。

明日はテストなのですが、いきなり第2日目で挫折というのもちょっと・・・なので、ひとことだけ。

テストのテーマは、How will agriculture offer a route out of poverty for individuals and nations? が一つと、What conditions can governments expect agriculture for national development goals?がもう一つ(実際とは異なります)。

私は、AgricultureとPoverty reductionの繋がり(前者が後者へどう貢献しているのか)を、Food SecurityとEconomic growthの点からみた議論を準備した。何事もつながっている、すなわち、この二つも勿論つながっている。ちょっと主観的にタイピングをすると、この二つの視点が、犬が駆け回るように、同じことをくるくると行きつ戻りつしてしまう。
如何にきれいに紐を整えながら、この二つに事象を丁寧に分けて説明するか、がポイントだろう。

この繋がり方は単なる一例で、他の事柄ももつれるように繋がっていることが分かり始めてきたから、国際開発に関連することを幅広く抑え、さらにこのような記録をしてみようと感じたきっかけではないだろうか。

社会科学を学ぶ上で厄介なのは、恐らく私が理系故なのかもしれないが、ひとつひとつのWordが、節が、文章が、どのような意味を示しているのかを正確に読み取る(Interpretation)こと。


どのように議論をしたのか、それは、今後メモを重ねていこうと思います。

Thursday, April 24, 2008

はじめまして、こんにちは。


こんにちは

イギリス レディングに、「社会開発」を勉強すべく、留学中のRikaです。

日本人で、国際開発について、ご自身の見解や日々アップデートされる情報を発信なさっている方々に巡り合う中で、私も、何か「日本人として、国際開発というテーマで、日々の気づきや得た情報を発信してみよう」と思い立ちました。


国際開発は、他の事象と同様、とてもいろいろな物事が絡まり合っています。
その全てを1人の人間がカバーする、というのは難しいと思いますが、知識と経験のネットワークを拡げ、ネットワークを如何なる深度であれ共有できた人々がいて、やっと1つの事が途上国へ為されるのだと私は思います。
いま、私は、世界に張り巡らされているネットワークに少しでも近づけるよう、情報の得方とその発信方法について、考えてます。この留学で得た知識は、どのようにして、社会へ還元していけるのかなぁ、っと。


自分の考える幅と深さと広がりを求めて、わしわしレディングを歩きまわっている日々です。


よろしくおねがいします