Tuesday, November 18, 2008

ただいま。

実は今、ルワンダにいます。

また政治的に難しい局面にある時期に、そういうところへきてしまった。

アフリカ大陸で暮らすのは私は初めてです。

Thursday, October 9, 2008

おせっきょうくさくなる。

考え事をしていると、異様に言葉をボリュームつけた表現にしてしまう。

意外に世の中はシンプルであり、1つの言葉に対して、様々な意味や要素をもっているのかもしれない(この文章自体、何か矛盾にみちているような?)。

今朝、電車で思いついたことを1つ。

今、世界の貧困問題をいかに解決できるか(小林正弥・上村雄彦編 現代図書)を繰り返し読んでいる。開発事業の受け手のSustainabilityがよく議論され、注目される一方で、同書では、「ホワイトバンド活動における活動従事者のSustainabilityも守るべき(ホワイトバンド、と書いているのは、同書ではホワイトバンドプロジェクトを事例としているため)」とあった。

日本ではワークライフバランスが謳われているが、根本は、やはり労働する人間の生活を持続的なもの(大切なものを守り続けること、幸せであることなどなど)とするためだと思う。開発業界において、自身の人生のSustainabilityを守るのは、私にとっては難しい。だからこそ、上の「従事者のSustainabilityを守るべき」というのは、身にしみた。




好きな仕事をしているからこそ、自分の人生も自分の視点においてSustainabilityなものでありたい、よくばりかな(はい、わたしはよくばりだ)。

Thursday, October 2, 2008

女性職

<女性職>の時代 ――ソフトインテリジェンスの力(中川美紀著 角川oneテーマ21)

という本を読んだ。買ってから1週間置いておいて、気分が上向きになったタイミングで読了。
男女の「差(格差とかではなく)」はやっぱりあるのでは、と常々思っている私は、結構共感した。

仕事の場では、頂いた機会はきちんと全うしたいと思う。
上司と先輩には、男女両方。性善説を唱える訳ではないけど、やっぱり、それぞれの性においての一般化できるポイントってあると思う、仕事の場において。生活の場においては、また別の議論が発生するだろう。ここでは論じきれない。

ただこう考えることのできるのは、今の日本だから。
これを、社会的な視点から途上とされる国々にあてはめるのはいけない。
研究でいわゆるイスラム圏を対象とした文献をいくつか読んでいたら、Gender Equalityという概念は西欧で発生したものであり、それを印籠のように取り込んで援助事業を行うのは否、というくだりがいくつかあった(若干、表現がおおげさかもしれません)。その土地で、傍から見ると平等ではない場合があるかもしれないが、それで彼らのCommunityが成り立っている場合、私が何か援助活動を行う場合、躊躇するかもしれない。仮に、その成り立ちにおいて、誰かが多かれ少なかれ、性差に起因しているガマンを強いられているとしても。Community Balanceというのが崩れる可能性があるから。でも、そのガマンはやっぱり取り除きたい。

こういう現実の矛盾を感じてしまう。
でも、希望としては、女の人として生まれたことを喜んでもらえるような事業を、やってみたいと思う。女性である自分を尊べるような、誇りに思えるような。なにができるかな。
男性版だって、もちろんよいかもしれない、イメージがよく湧かないけど・・・・必要か否か、それはこれを読んでいる男性陣の心にあるだろう。



私にはわかりません。

Tuesday, September 30, 2008

あしたから勤務人

あしたからお仕事開始です。

満員電車、定期券、メールと会議とレポート、お昼、メールと会議とレポート、満員電車(?)の日々。

結局、帰国後の3週間弱では、本を追加的に読むことしかできませんでした。
アウトプットが上手く出ない。人生への迷いが多いので、思いきりがうまくいかない。
新たなプランのキーワードが定まらない。定められるだけの知識容量が足りていない。

得たものといえば、食わず嫌いをしていたことに対する新たな視点を見いだせたことでしょうか。
貴重でした。

私の中で、国際開発は深みを増していることは確かだと思います。
でも、感じていても、言葉にして、行動に移さなければ人々へ届かない。もどかし~

早く、何かA4 1ページにしたためることができるところまで、登っていきたい(できれば10月中に)。

Saturday, September 27, 2008

うーん

ひっこしや会社へ戻る準備、情報収集、などしていると1日がすごく早く終わってしまいます。
とても個人的なこともなかなか収拾がついてない・・・(ちょっと距離を置こうかなぁ)


なので、マイプランがなかなかすすまなーい。
このマイプラン、いつがゴールなんだか、先も方法もみえなーい。


仕事を再開すると、また進みが遅くなると思うのですが、うまくやっていきたいところ。

丸の内オアゾで、ビジネス書フェアをやっているらしいので、少し小説やエッセーより、現実な書籍を読んで頭をきれいにしたいと思います。

性格なのかもしれませんが、一つのことをきれいに取りまとめて次!ということができにくくて、いろいろとまぜこみながら模索していると ぴぴ! とくるタイプなので、今はその時期と思って、ながながながーい目で前進だ。

Friday, September 19, 2008

ネクストマーケット

えーいまさら?

と思われそうですが、ネクストマーケット(和訳版)を読み始めました。2006年の秋に買ったのですが、放置していました。
やっと、彼にもお鉢が回ってきたようです。




うわぁぁあ




早く読んでおけばよかった、と思いましたが、今読むから価値がある内容だ、とも思いました。
今のタイミングでこの本を読んだのは、必然ともいえます。自分のいまもっているプラン(なんだか巨大そうな、ちんまりしてそうな、脳内アメーバ状態)があるからこそ、さっくりと自分に(or が)内容が(or に)歩み寄っている感じがします(かっこの中のほうが、実際は大いに正しいかもしれない)。

メモをとりながら、相当注意深く読んでおりますので、至って進むのが遅いですが、しっかり読み込んで次への足がかりにしたい本でした。

Monday, September 15, 2008

ひびのこと@東京

髪の毛を10センチくらいカットして(何年ぶりかのボブっちゃん)

ケータイを買って(テレビなんていらないのに、全部テレビついてるよ。いらないよ。機能ありすぎて、イギリスで使ってたケータイくらい(電話とメールだけ)で、アナログンは十分ですよ。)

本屋に行ったのに、ははっ!!!と気づいて、買うのをやめて(明日、AERAを買って、伊勢崎先生の部分だけがっちり切り抜こう)

無印に行って、必要なものをちょこちょこ買って、チャリでお家まで帰りました。収入がないので、いろいろとシビアです。


でも、思ったのが、とーってもよわーくなんですが、そして、自覚を隠し続けてきたことなのですが、もうしっかりしなきゃということで、こちらのブログへ書いておきます。

チャリティ

をマイナスに思わない、ということです。開発に携わる人間として、人々の自立心、自尊心、生活を成り立たせていくためのすべ、をどのようにして強く持続可能なものとしていくか、を常に念頭に置いて今までやってきたので、


チャリティ

とか

みんなに伝えるために、テレビ局の取材でアフリカにいくわ


的な、芸能人やセレブの活動を、正直、あたかも敵の如く、疑問視してきました。そんな自分を、小さすぎると思って、否定も特にはしてきました。そこらへんをクリアにすることもできる余裕がなく、今に至っています。

でも、それは違うかもしれない。私のやってきたことも、見ようによっては、相手国からみれば余計なお世話かもしれない(気付きのお手伝い、ではなく、自分たちで既に気付いていたのに目をつぶってきたのに、外野がまた気付かせた、傷口を広げた的な活動だったかもしれない)、自己満足、上から目線の行為だったのかもしれない。
(大げさですが、自分への本音です。そうではない、Practitionerもたくさんいると思いますのであしからず。)

結局のところ、どんなに想像力を逞しくしても、何がよくて何が悪いとか、他人の行動への理解は、完璧にはできないものです。そして、回答もない。ただ、理解しようと努力することはとても大事。

そういうスパイラルに陥るのではなく、もしかすると、あらゆる(経済的)途上国への支援を総括する形のアプローチを作り出す姿勢がよいのかもしれません。
何かを排除し、ゴーイングマイウェイを突き通すのではなく、コラボレーションをする形で、新しいアプローチを作り出す。


ケータイのデザインを見てて、美容院でFigaroなどを眺めてて、私の興味のある「生活の豊かさ」というものを考えると




など、アートなアプローチを入れるといいのかと思いました。イメージというか。キーメッセージというか。


分かりやすくて、見てて楽しい。字が読めなくても、ピンと伝わる。空気になる。

ジャーナリズム
アート
アドボカシー



国際開発


私に必要なのは、ジャーナリズム、広告、マーケティングに関する基礎知識、途上国を対象としたチャリティとボランティアの現実を知ること、なのではないかと思います。

Thursday, September 4, 2008

わたしのろんぶんなるもの

ブログを立ち上げたのもつかの間、修士論文のため、それに没頭しておりました。
私の論文タイトルは

How effective is community participation as a tool for the women's livelihoods in Palestine?

です。コミュニティ開発における参加型開発手法が、人々の生活(Livelihoods)にどのような影響を及ぼすのか、パレスチナのUN関連プロジェクトをケーススタディとした研究をしました。

英国の1年マスターは、1年弱。
研究そのものにかけた時間は、試験の終了した5月からの4か月。これを「のみ」ととらえるか「も」ととらえるかは、本人によると思います。

かけた時間をこのように数字にすると短いかな?と思ってしまったりしますが、実際にかけた愛情というか、想いは結構分厚い。とても内容の濃いものになりました。
取り組んていた間、自己に対して気づくことも非常に多かったです。やりたいことも見つかりました、その道は果てしなく遠く近くですけど。

この論文をだれに見せたいか、と思ったとき、たくさんの顔を思い浮かべました。
まだ、そのお礼をし切れていません。なので、国際開発に関する徒然を書きたいこのブログにおいて、
自分のことだけを書くことにしました。


みなさん、有難うございました。


追伸:Livelihoodsの適切な和訳語、何かないかなぁ、と日々探してます。そうでないと、サマリーの和訳版ができないなぁと。それ自体は大きな問題ではなくとも、こういう英語とその日本語訳のどうしようもない乖離は、世界的な援助の潮流を追う、という意味で遅れを取る原因なのでは、ともふっと思いました。

Thursday, August 28, 2008

ごぶさたです。


これから(あと数時間後に)、製本屋さんへ行きます~

これ以上はもう何も出てこないので、ワード数が若干少ないですが、これでおしまいにします。

ご報告でした。

Sunday, August 24, 2008

あとすうじつ。

で、洪水のようなものがおわります。




そのときに、論文の詳細をおひろめっ!たぶん・・・!

Sunday, August 10, 2008

よのなかはうごいている/た。

いつの間にか、


オリンピックが始まっていて(毎日、ジムでBBCを眺めてたので、感覚的には分かってたけど。開会式のときには、さすがに家に戻っていたし。)

谷亮子選手はメダルをいつの間にか獲得していて、ご主人の谷選手も、骨のあるコメントを残されていて

おそらく、8月8日を過ぎたから甲子園も始まっているはずで


と思った、今日の夜。
同じプログラムの友人も自分の研究に没頭しているから 会話が時代に取り残されている感 がある。というより、分野的に若干10年以上前にさかのぼっていることが多い。

浦島たろこもいいところ。


4年前のアテネのとき、何をやっていたのか思い出せないし。

Friday, August 1, 2008

もう8がつか~

ご無沙汰でございます。

とっても・・・・・なので、もうちょっとお休みします。
日本時間のお盆にはなんとかなっていると思います。
久しぶりすぎて、ログインの仕方が分かんなくなってしまいました。


穏やかにひっそり暮らすのが、世の幸せなのかもしれません。
ってそんな風に暮らせるわけがないのですが、この性格め~(笑)

良い8月をお迎えください!

Monday, July 21, 2008

はしってみた。

ぎっくり腰の治療・・・というよりも、姿勢矯正通いもほぼ終わった、お天気のよい日曜日。
思い立ったのは、


そうだ、大学の周りを走ろう~


ジム通いは定期的に5月までしていたものの、地面を蹴って走る、というのは何年ぶり?
なので、走ったり歩いたりすること1時間。

ご夫婦で、犬連れでお散歩したり、お子さんと走っている方がいました。

もう2か月もないイギリス時間ですが、できるだけ続けようと思います。



できるだけ

Friday, July 18, 2008

ごほんごほん

ひさしぶりに本を借りてみました。

もう既に何度か読んだし、コピーも取ってあるものなので、借りる意味はなかったのですが、気分を盛り上げるために借りました。まあ、そんな借り方もあるのです・・・

朝一でのSupervisorとのミーティング。
話したいことがいっぱいあったので、ばっちり1時間。

少し難解が解け始めたので、また書くのをがんばろう、です。


実現させようと気持ちを鼓舞させるのに一苦労、そのために何かを実現までやり遂げるのも一苦労。
でも、楽しければ、苦労ではないなぁ。
というか、苦しさより、その先のことを考える楽しさで相殺される。
寛朗(寛という字は、音読みで「く」とも読めるらしい From新漢語林)と書くと、明るい気持ちになりますね。

一見、どなたかの名前のように見えなくもない・・・・

Tuesday, July 15, 2008

闇の子供たち

8月ロードショーの映画。
http://www.yami-kodomo.jp/

臓器提供を巡る映画。

2分弱の予告を見るだけで、はながツーンとしてしまった。
他にも書くべきことがありそうなんだけど。

言葉が・・・・・


宮﨑あおいの役(ボランティアのNGO職員で、幼児の臓器売買に立ち向かう)は、外国人として開発に携わっている自分に重なりすぎてしまうかもしれない。
彼女へ掛けられる現地の人々の言葉は、おそらく、自分とオーバーラップしてしまうだろう。

映画館での上映に間に合うかな?

Monday, July 14, 2008

ごろごろごろ の思い出

もう帰国が視野に入る時期。

はやい。


一年経つんだなぁ、と若干感慨深げだったりする。が、実際は、感情に浸る余裕がないほどに、焦ってもいたりするのが、本音。

一年経つということは、つまり、


東京ミッドタウンで酔っ払ってごろごろ転がって草だらけで六本木を闊歩(一人で、ではありません)


してから1年経つことになるのを、一緒に転がりを共にした友人の便りで思い出した。

その1年の間に、二人が同級生のお嫁さんになったし、さらに別の一人はママになる(^ー^* )
私はそういう変化はなかったけど、やっぱり何かは変わったんだと思う。変わったのはわかんないけど、きっと気付かないうちに、見えないんだけど、無我夢中で進んだ結果として積み上がっているものはあると思う。


でも、やっぱり帰国したら、転がっちゃうかもしれない。
葉っぱだらけにならないように気をつけよう。

Sunday, July 13, 2008

武力と正義、そして協力からなる国際開発?

なんともいえないタイトル・・・・・

アフガニスタン一般市民56人(BBC調べ)の死傷者を出した、米軍による空襲。
一般市民の尊い生命と生活をより豊かなものにするためになされている、国連を中心とした協力。治安などの問題によって、制限が多様に付されつつも、その地で日々の生活を営み、活動を地道に続けるドナーやNGOの職員。

何をしているのか、何がなされるべきなのか、と考えてしまいます。
でも、協力の手は止めてはいけなくて。

今すぐには何もできなくとも、将来何かしたいためには、それを実現するために今しか出来ない「私が考えるべきことを今考えること」を続け、試行錯誤していかねばです。


なんかお説教くさいなぁ、わたし、最近。

Saturday, July 12, 2008

いっぽ~

進まない進まない、といっててもしょうがないので、メモカードを積み重ねる毎日です。現地調査をしたことはデータ収集を兼ねたことから、周囲からは進んでいる印象があるようですが、なかなかそうはうまくいきませんわ。

Livelihoodsとは何なのか、悩んでいます。
たった一言では表わしきれず、英和辞典を見ても、そうじゃないでしょ?という和訳がなされています。そういう言葉って結構ありますが、今ほど反発したことはないような気がする。

一方で、次へいい加減進まなきゃいけないので、少し前のめっています。
のめってみたのですが、時間の使い方が最近よくないので、こう、なんか、よくないなぁ~って感じです。今は、あらゆるものが下準備の時期なので、パッキパッキと過ごしたいです。

モチベーションを上げるために、気持ちがぶれないように、いろいろと調べてでみました。いろいろな開発への取組み方があり、それをMy Own Missionとして受け止め(あるいは自ら創り出して、より進化させ)、活動させている人がたくさんいらっしゃいます。そうやって、パワーを頂いてみました。

オクラのスープを作ってみました。
結構、いけました。コンソメ万歳。

Wednesday, July 9, 2008

7月なのに寒いんです

来月で、渡英1年になります。去年の8月は、タートルネックと半そでTシャツを交互に着る生活でした。

今は寒いです。

調子よすぎですが、今となっては、痛いくらいの日光が日々容赦なかったエルサレムが懐かしいです。1週間前にはあそこにいたらしい自分。
しかし、本気で痛いな、と思うこともあったので、まろやかな日差しのイギリスのほうがやはり過ごしやすいかもしれない。

今は日々、コートを着たいけど一応夏だから、薄手のものを重ねて過ごしちゃえ、という感じ。


開発関連のブログを当初目指したのに、気候系2連発になってしまった。
開発のほうは、いろいろと日々もぞもぞ考えています。もうちょっとクリアにしていくには、時間がかかりそうです。自分の仕事と、自分のやりたいことを、今持ちうる自分の幅で、どう合致させていくのか、人生の時間軸の取り方、現実を見据えた方針の立て方、それを実現するために必要なもの、時代の流れ、トレンド、次々と巡ってきてくれるものやひと・・・・・

整理が必要です。

Thursday, July 3, 2008

いぎりすせいかつ。

イギリスにもどりました。

7月ですが、初夏ってかんじです。風がたおやか~と油断していると、雨が・・・・・

日光が明らかに先週よりふんわり穏やかです。太陽は世の中に1個しかなく、そこから発する光だって1種類しかないと思いますが(たぶんね)、こんなに受ける場所で違うのか、と驚かされます。

Tuesday, July 1, 2008

ひとくぎりと追伸

任務終了(ちょっと残務もあるけど・・・・)


ちょっと休みます、明日からぽ~っとします。来週は週明けから、次への準備のため、気をぎゅと引き締めて。そのためにも、たらたらすごします。

これからの2ヶ月に備えて

じゅーでん

です。涼しいイギリスで・・・・ここは暑い・・・・あづすぎる


7月がはじまりまーす。

追伸:遅ればせながら発見。開発へのものの見方が日々広がっています。
> http://one.org/jp/

Sunday, June 29, 2008

すてき!

テニスは大学時代のサークルで基礎編でくたってしまった(そのあとに見つけたフラメンコにおおはまりをした)わたし。

正直いえば、イギリスに1年近くいるのに、ウィンブルドン?という感じ。
テニスのウィンブルドン、というより、国際免許書き換えのためのウィンブルドン、を紹介してもらいました。でも、結局、車を運転する必要がなくなったので、書き換えてません。

なのに、クルム伊達公子選手のブログ(http://ameblo.jp/kimiko-date:すみません、リンクをきれいに張る方法が分かりません)は結構好きです。

いろいろと気持ちよくモチベーションを挙げてくださるブログです。

あと、トレンダーズの経沢社長のブログ(http://ameblo.jp/trenders/)には、この数年ほどお世話になっています。インスピレーションを多々。ここに来る前は、Mixiの日記を利用していましたが(いまも別館的利用)、そこにはメモ書きのようにコピーしていました。



素直に、いいな、と思えます。
自分の人生と、それを表現する場を丁寧に自分で周りの方々と築かれた。
その姿勢に、その努力に、その結果に、目標がぶれなかったことに。

成果

この調査もおしまいです。

いろいろな初経験がありました。
空港での惨事、ぎっくり腰、へんな感染症、決め、ランドクルーザーのタイヤ大破、出先で倒れる・・・・

あまりないことです、しかもこの1ヶ月だけで起きているので、いままでの5年近くの勤務の平穏さはなんだったんだと思うばかりです。

何かが起こるときというのは、そういうものなのかもしれませんね。
起こりすぎなような気がしますが、とりあえず、それなりの結果と報告書を携えて、無事にイギリスへ帰れるだけでも感謝したほうがよい気がします。

イギリスに帰ってからのやるべきこと・・・・
のほうが忙しそうですが、無駄になることは皆無だと思うので、楽しみです。


参加型開発は、開発を牽引するドナーの立場から有意であるとされ、それについての賛否両論が展開されています。では、その開発を受ける側からは有意なのか否か。

ジェンダーの観点から、その平等性について議論がなされるイスラムの地域での調査をしましたが、プロジェクトの対象となる人々にとって心地のよい環境を作ることで、有意なものとなることが分かりました。参加をする、ということは、意見を交わす、人と交流をする、という実践の場に飛び込むことになるので、そこで練習したことは、家族や近隣の人々とのコミュニケーションで応用されるのです。

しかしながら、参加型開発でニーズを取り込んで、というステップは昨今よくあることですが、すべてのニーズが取り込まれることは困難であり、それゆえ、調査へ協力できない、条件はニーズを全部飲むこと、という地域もありました。
私の調査はあくまで私的なものになってしまうので、それはしょうがないことかもしれませんが、学術研究と実施の場の何ともいえない違い、自分の第3者的立場に、やっぱり悔しいと思うことも多々ありました。しょうがないです、現場を離れる決心は、そういう立場に一瞬でも立つことへの覚悟でもあったのですから(大げさ~)。
でも、その立場へ立つことで、新たに見えたことも多々ありましたので、何でもよい面とちょっとがっかりしちゃう面があるのは自然なこと。




というわけで、明日は、取りまとめ

Wednesday, June 25, 2008

じゃんぷとげんじつ・・・

よし、と決めて、とってもすっきりしてます。

しかし、現実世界に生きていたりするので、考えたいことと考えなければならないことはいっぱいです。向こう1週間は、往路のようなことが起こらないよう、無事にイギリスへ帰ることが大切です。

↑写真は、日本語と英語の大混乱した調査報告書・・・・明日の朝までにイギリスに送らねば  ̄o ̄;)

→写真は、昨日のお夕飯。


お魚のフライと、アラビックサラダ(トマトときゅうりのみじん切りをレモン汁で和えた、どこにでもありそうだけど、名前はあらびっく)、ピクルス、ターキッシュサラダ(トマト、たまねぎなど香味野菜、きゃべつなどの極みじん切りのサラダ?というか、ソースに近い。なんでトルコサラダなんだ?)を、ピタパンにたっぷり入れてもらいました。

本当は、ラップ型のシュワルマのほうが好みですが、エルサレムの屋台ではピタパンが主のようです。大体の場合において、長期出張の場合は顔なじみ大作戦により、私は野菜だけのシュワルマを特注してました。

ヨルダンのシュワルマは、少しお上品です。

アンマンの中心部しか知らないせいもありますが、屋台というより、ファーストフードショップのような感じなので、紙にまきまき、よりも、きちんとプラスチックのケースに入って、一口サイズに切られ、ピクルスとコールスローサラダとのセットメニューで供されることが多かったです。



そんなシュワルマ談義なんてどうでもいいほどに、少し不安定なこの地域です。

Sunday, June 22, 2008

今後と日々のごはんのおはなし

ここにきてひたすら考えてきたこと。

やっと文章化するところまでに至りました。

仕事や人生を含めて、今後どのように生きていくか、これから戦略形成に入ります。
同じようなことを考えている人が世の中には結構いる、それは大きなパワーと前へ一歩踏み出る勇気をわたしにくれました。

何物でもない、わたしが考えて実現させたいこと。
やっと具現化できるようになってきたそれを、前向きなことばで迎え入れたい。



というか、その前に報告書、終わらせないと・・・
でも、ここを出発する前日まで調査が入るとは・・・・( ̄ー ̄;
何時に最終化が終わるんだろう



ここ(エルサレム)のごはんのおはなしです。
ホムス(ひよこ豆ペースト)とピタパン、きゅうり、トマトが主食です。
それらをサンドイッチにしてもらって、ケバブやチキン、お魚のフライを気分によって入れてもらう、のが毎日の食事です。


(名誉のためにいえば、今はホテル暮らしなので、自分で料理ができませんけど、イギリスでは自炊度相当高いです)


イギリスのスーパーで売っているのとは全く異なる、オリーブオイルたっぷり混ぜ物なしのホムスです。これを食べると、イギリスのホムスは、カロリーオフされてしまっているので、ちょっと異なるもののような気がします。やっぱりちがう・・・と思ってしまいます。


中東の料理はバラエティに富んでいます。特に家庭料理は絶品です。
残念ながら今回はその機会がありませんでしたが・・・・・



いつか現地ごはん、アップしよ。
ちなみに、体調が戻りつつある昨日のお昼は、白と赤が国旗の某島国のドンブリものだったことはいいますまい。

Thursday, June 19, 2008

パレスチナの父の日

一緒にいつも調査につきあってくれる通訳さんに聞いてみた。




パレスチナの父の日はいつ?



( ̄Д ̄;;ないそうです

その代わり、母の日に一緒に感謝を表するそうです。
そうなんだ~

しかもそれが基本だそうです。それって、母の日、とは・・・?

その母の日、イギリスとも日本とも違う日でした。国によってさまざまです。

Wednesday, June 18, 2008

参加型とは

~ まず必要なもの ~

参加する人たち:自分の時間を割いて参加してみようと思ってみること(それ自体がチャレンジ。先が見えないし、予想もつかない。時間も周囲の理解も必要で、結構最初に腰を上げるのに、えいしょ~、が必要。)

援助側に立つ人間の役割:場所と機会の、その土地や文化において適切な方に則った提供(その根回しとかもろもろ。たとえば、自分の作った料理を多くの人に楽しんで食べてもらいたいような感じで準備してみる。たのしいパーティをやるのに、いろいろな下準備が必要なように。)

なんか私が考えることは「開発」に貢献というより、一緒にいて私だったら楽しいか、というところに重きが置かれることがある・・・・・(・vv・)


参加型!ではなく、人集まった型、とかいってみたらいかがでしょうか。


これからもう一仕事。

夜明けの予兆を迎える予感・・・?

素敵なデザインが豊富なマザーハウス社長のブログを拝読。


頑張りたいと思う全ての人に、頑張れる舞台があるように


本当にそうだと思う。

どんな人にでも、その人の生きている世界で、最善の時間を少しでも多く過ごすことができるように、自分を中心に据えることのできる舞台がなされるように。

だから、私は、ミクロな視点をこの1年、育んできたと思う。実際、研究自体も、ミクロだ。
ミクロから、マクロへ繋げて考えるのが、留学終了後の課題・・・(早くも、課題が~)

自国の環境改善に取り組むことも大切だと思うし、なぜ国外のことを考えるのにより多くの時間を割くのか、自身の中で、苛まれることも多い。日本だって、(経済的に)途上国とカテゴリーされる国と同じような問題を多く抱えているから。


あらゆる意味で、自と他、のバランスを取らねばです。

Sunday, June 15, 2008

家族と国際開発

きょうは父の日です。

イギリスの母の日は、3月初旬だったので、今年の母の日はイギリスカレンダーにあわせました。
父の日はいつだろう、と思ってたら、日本と一緒でした。カード社会なイギリス、スーパーも文房具屋さんも薬屋さんも父の日モード一色でした。イギリスのカード、コンパクトなものもありますが、概して、おっきなものが多いです。

ここはどうなんだろう、と眺めてますが、なんでもなさそうなふつーの日です。
でも、アラビア語がわからないだけで、町中では、父 父 父、とみんないっているのかもしれません。いってなさそうな確率 95% ドン。

この8年近く、毎年6月は海外で仕事したり勉強したりです。
なぜだろう・・・・


(。・д・。)


世界のどこにいても、家族の行事だけは、できる範囲でお祝いしたいです。

今年は、3ヶ月遅れの感謝の日になってしまいますが、お父さん、いつもありがとう。

と、ここまでは自分のことですが。

今、パレスチナの人々の生活について調べています。エンパワメント事業へ参加することによって、自分の周りへのAwarenessが高まって、今は楽しいというパレスチナの女性たちとほぼ毎日、会っています。イスラム教が根付くこの地で、まず彼女たちが、最初の一歩を踏み出すために必要なのは、彼女たちの家族と向き合うこと。これはひとつの大きなチャレンジです。



家族の理解を得られて初めて、自分の家のドアの外との世界と繋がるのです。
結局のところ、世界に共通するのは、多くの人々が生きていくうえでの活動単位は

家族(血がつながってなくとも、それに近く、屋根を共有し、生活をともにしている人も含めて)

なのだと思います。Family-based Approach、ではないですが、家族をひとつの単位として、人々の生活を心地よくできるような啓蒙活動を推進させる方法、生み出せないかな、なんて思っています。


見えにくいですが、中央付近のフェンスを境に、左側が西エルサレム(イスラエル側)、東エルサレム(パレスチナ側)に分かれています。旧市街を背にして撮りました。

Friday, June 13, 2008

エルサレム(東側)


エルサレムの町です。

明日は、イスラム教のお休みの日、金曜日です。
だから、少し店じまいが早いようでした。

1時間とろとろ歩いて(先週、あろうことか腰を痛めたので、こんなに長く歩いたのは久しぶりでした)みました。

東エルサレムをこんなに歩くのも実は初めてでした。
旧市街に、日曜日足を伸ばせるように





しっぴつ、がんばろ~

Monday, June 9, 2008

ひとの集い。

参加型手法を利用して、人々の意見を聞く社会調査。

参加型手法なのかよくわからないけど、とりあえず、人を集めて話をしてみる会議。

前者に対する、人々の見解はよくわからないけど、後者は私が好きなこと。おそらく、正直ベースにちゃんと人と話すのが一番早い、と考えているからだと思う。
人が集うというのは、やっぱり、大方の世界において、大方の人々にとって大切なことなのだと思う。
イスラム圏でも、パレスチナは比較的、オープンさが感じられる(最北、南のほうはまた異なると思うけど)。私は、どうやってこの地域と関わっていくのだろうか。



相変わらずTOEFLのスコアが伸びず、がっかりな私である。
このままの英語力では、路頭に迷いそう・・・・・(めずらしく、結構真剣)
いろいろな出来事にめぐり合ってしまった先週、明日からは気を入れなおしていきたいものだ。そして、得た出来事からは、なんらかの学びを自分に培っていただきたいです、自分。

Friday, June 6, 2008

えいこら。

やっぱり地力をつけないと、なりません。

自分をしっかり立たせるように自然になれたら、やっといろんなものがついてきます。
イギリスにいたときは、やっぱり学生さんなので、どこかあやふやだし、どこか彷徨っている感じでした。甘え、なのかなぁ。

ここ(エルサレム)にいると、まずは自分をしっかりさせなきゃなぁ、って感じます。
そうすると、いろんなものが、どうやらついてきてくれるようです。ご褒美、でしょうか。

その場その場でやっぱり大変なこと、つらいこと、しんどいことは常について回るものですが、何を大切に自分はしたいのか、どこに視点を置いて自分の人生の選択を重ねていくべきなのか、そこがあってこそです。

あまり大っぴらにできないのですが、迷って迷ってしょうがないことがありますが、
ここで何か、ヒントを体得できるのかもしれませんので、
自分らしく、好きなことができる今の環境を大事にして、
自分のプライオリティを達成するために、耳と目をダンボにしていたいと思います。



UN車が日常的に走るのを目にするたび、きりっと気が引き締まります。

Thursday, June 5, 2008

ちょっとたいへん。

いろいろと大変なことが起こっていますが、エルサレムでの調査を始めました。

少したてばもうちょっと落ち着けると信じて、がんばろう、です。





みなさんも、暑さや涼しさに負けず、よい6月を!

Sunday, June 1, 2008

きょう


出発前日にしては、のんきな日でした。

フェアトレードのお店で、以前住んでいたお家で同居してたカップルへの贈り物と、ぽてぼてっとしたかざりがいっぱいついているアクセサリーを。色遣いがカラフルなので、明日からのゲンキノミナモトとしてお伴させます。

そのあと、ちょっと勉強して、日用品を買い足して、帰り道にお花屋さんの前を通って仰天。


レインボーカラーのバラ!


1本4ポンド弱でしたから、800円弱程度。
高いのか安いのか、人それぞれだと思いましたが、買う方はどんなふうにそのバラたちと過ごされるのか、興味があります。わたしだったら・・・


落ち着かないだろうなぁ


とぼんやり考えつつ、面白すぎだと思って、早速両親へのメールとしました。




ではでは、ちょっと調査へ行ってまいります。

Saturday, May 31, 2008

プロフェッショナル

なにかを専門的に極めた方のことを呼ぶと思う。

そのような方の中でメディアに出る方のおはなしをテレビやインターネットへの寄稿から拝見すると、世の中全般へ通じるメッセージが多い。

専門家だから、それだけ知っていればいい、というのではなく、これを専門として生業(あるいは副的なものであったり)とし、世の中と生きている、生業の一部が世の中へ貢献されている、というのが、日本で呼ばれる「プロフェッショナル」というものなのかなぁ。
恐らく、生活そのものは、そう呼ばれていない多くの人と同じだと思う。もしかしたら、得るものも多いかもしれないが、有名税として払っているものも多いかもしれない。

恐らく、なるべくして「プロフェッショナル」になった方が多いと思う。
その方々は運がよかったんだ、などで済む話の訳はなく、たゆまない努力、謙虚さなどなどを積み重ねた結果、時代と共鳴するようなメッセージ性が何かしっかりあったのだろう。
んー、なんとなく、私の理解はまだあいまいだ。



みなさんの「プロフェショナリティ」はなんですか?

わたしは、なんだろう。あと10年くらいしたら、今をしっかり生きたら、そのとき感じることをしっかり感じ取っていったら、敷くべき道をしっかり築いたら、分かるような気がする。

Friday, May 30, 2008

ここで得た知識の行方。


声を上げてみるのは大切なのよ、最初は勇気の要ることだけどね。

というのは、私のスーパーバイザーが、修論書きをどのようにグループで進めていくかみんなで考えていたときに発した言葉。


きょう、ふっと思った。
レディングには少なかったけれど、イギリス全体で国際開発や平和構築を学ぶ日本人学生は非常に多い。どのくらいいるんだろう・・・・。

そして、彼らの得た知識、見識、人々とのネットワークはどれほどに日本の援助へ貢献しているのだろうか。有給であれ、無給であれ。
イギリスで学んだ、ということ、だけでは援助に携わる人間としての条件は満たされないけれど、せっかく時間とお金をたっぷりかけて得たものを、活かせるプラットフォーム、できないかなぁ、と思った。




なんとなく、このようなことが、最近、ぼんやりといろいろ、思い浮かぶことが多くなった。

Thursday, May 29, 2008

学生の日記っぽく。


ちょっとぶれることがあったり、クラッシュがあったり(いえいえ、これらはまぁまぁほぼ全て、研究に関わることとご理解ください)で、なかなか書き進まず、かといって、時間だけは規則正しく過ぎてくれるから、結果的に

スケジュール遅れ

が生じております。正確にいえば、2500ワード遅れ、というか。
秋学期の「参加型開発」に関するエッセーを読み返してみました。英語の質はともかく(読んでくれた先生に感謝だ)、自分の考え方が、「プロジェクトの実施者」的であることがありありと伝わる内容だった。

いろいろと文献を読み、メモにとり、マッピングして整理する作業をこの1か月してきたけれども、難しいのは、自分が本当に考えたことなのか、先人の考えたことに同調しているのか、混乱すること。
きっとまだ十分に咀嚼できていない証拠なんだろうと思う。でも、私の場合、書き始めてしばらく経つと、

つー

っと進むときがある。友人も、何でかわからないんだけど、突然文章になる、といっていた。
今はそれを待っている。


今日の見込みだと、上の遅れ分は、半分くらいに縮めてイギリスを発つことができそうだ。





といいんですがね。

Tuesday, May 27, 2008

生存力をのばす。

日経ビジネス オンライン 茂木健一郎の「超一流の仕事脳」
というコーナーにて、UNHCRウガンダ・リラ 
高嶋由美子 事務所長の言葉が掲載されていた。

政治や社会情勢の影響を受けて全てを失ったが、それゆえに見える、生命の真実(精神的な強さも含む)がある。
人と人のつながりが幸せの方程式である。

というもの。

どんな状況においても何にわずかな光を見出し、それを糧として、生きていく、仕事をしていくかが大切なのだと思う。これまでの経験上から、目先の自分自身より、私は、もう少し先を見るべきと思うたちである(だから、目先において注意散漫になって、物理的、精神的ダメージが生じることも多い)。これは学習した、というほうが正しいと思う。

目先の自分より、先の「社会」を考えながら進める人間でありたい。
まだまだひよっこだが、最近、精神的のびしろ(許容というか・・・?)が増えた。自己満足かもしれないけど、おや、前と違うかも?と感じる、自身に対する発見は大切にしたい。


そののびしろの大きさが、生命力、ならぬ、世の中における生存力(私訳:世の中で、如何に、快適に人々と仕事と人生を謳歌できるか)、なのではないかと思う。生存力があるから、仕事に付加価値が付けられる余裕があるのだと思う。付加価値、というのは、おまけ的なヨコロビ発生パワー、のこと。最初はできなくてもしょうがないけど、ある程度経ったら、そういう付加価値発生力は、大切だと思う。


開発の仕事には、待ちに耐えられる気長さ、アバウトさが必要といわれる。
つまり、生存力が大切な仕事、ナノダ。





Coors Lightを語学研修のときの友人たちと頂いて、ちょっと酔っぱらい気味です。
ちょっと甘めなビールでした。

Monday, May 26, 2008

RightとNeeds


これについての勉強会に参加した。

なかなか日々の活動の中で、Right(人権)のことを考え、取り入れるのは難しい。
どうしても、Needs(人々の生活にとって必要なもの)を中心に考えてします、無意識に。

こうかな、ああかな、と思って駒を進めている作業において、Rightの思想が十分に反映されているとは言い難い。発見をもたらしてくれた有意義な勉強会に参加できたことに感謝です。

Sunday, May 25, 2008

リーダーシップ?


とある活動において反省の多い半年でしたが、昨日でひと段落。

リーダーシップとか元々希薄だったので、そんなものはまだまだですが、みんなのおかげで生き抜いたという感じ。私の理想なリーダーは、おしつけのない人、です。リーダーシップを取らなきゃいけない環境以外では、他のお話もざっくばらんにできる、とか。決めのところでは、がし!と決められるとか。
ようは、懐の深さ?と、人や物に対する好奇心の広さですね。

でも、それは訓練もあり、生まれもった性格も関係してくることだから、自分がそのときにできそうなことを精一杯やることが大切なんだと思います。出来る限りの思いやりももって。

その思いやりという言葉も難しい。
あるところで、他人と自分は違うから、相容れないところが生じてしまうのはどうしようもないのだと思います。例えば、言語だったり、生きてきたバックグラウンドが異なってたり、宗教だったり、などなど。
違うところをどれだけ受け入れ、相手に対する尊敬の念を表現できるか、ここがこれからのポイントだな、と思います。私はそのあたりのコントロールが下手なのダ。



というわけで、しばらくは集中!
一昨日、朝4時から集中して作ってた質問票に、「プロジェクトに参加して、あなたはHappyと感じましたか」という文を入れました。なかなか面白い!と自画自賛。スーパーバイザーの反応や、如何に。

Thursday, May 22, 2008

Dynamism 「ない」の表現


「できない」「しない」のいいわけが日常的に多いかも、なわたしですが、これでも、「できない」はできるだけいわないように、ガマンは一応してます。
でも、それは、それぞれの場所に「駆け込み」メンター的な方がいらっしゃるからこそm(_ _)m
最近は、現実社会、サイバー社会の両方に増えてきました。
気の引き締まる思いです。


さて、前置き長めになりました。
私が「いつか、展開したい」と思う考え方の1つに、社会企業、があります。Social Entrepreneurというもの。でも、あくまで、今までは「いいな」だけ。留学するときに迷いましたが、いわゆる「社会科」を勉強したかった私は、今の道へ。

今まで獲得してきたものを、如何に有用に使うか、私の場合は「社会基盤工学(土木工学)」「社会開発(今勉強していること)」をどう合体させるか、が次の目標になると思います。まさに、「インフラのココロ忘れなかれ」に繋がるのだと思います。
その間に必要な触媒として、もしかしたら取り入れられる考え方かも、まだ「そういえばあったね~」と「興味のあったものリスト」へのお蔵入りにはできないな、と最近、思いました。


という気づきも、やはり、「メンター」のおかげですね。
私の関心のあるものには、全部「社会」がついてました・・・・・こういう偶然のつながりは、多いです。
人生は繋がっているな、と感じる瞬間です。

Wednesday, May 21, 2008

日常と非日常


今は、勉強をし、たまに踊り、散歩し、あとは気ままな生活を送ってます。
なのに、あと10日もしたら、がしがし、昨年の生活に戻ります。

毎日、車と通訳さんとアシスタントさん(アシストされているのか、私がアシスタントだったのか、は問わないでください)で、がんがんヨルダン渓谷(パレスチナ自治区 西岸に位置しています)を、動いてました。何が何だか分からず、ひたすら、ひたすら、でした。

あの馬力が今回、出せるのか甚だ怪しいです。
というより、後がない、繰り返しは不可能、という表現が相応しい「研究のための現地調査」ですから、勢いというか準備が必要です。

今の日常が、長い目で見れば非日常であったことに、ようやく気付き始めたのでした
(._・)ノ


今年の6月もパレスチナ。3年連続、がっつり容赦なしな太陽のなかです。

Monday, May 19, 2008

人あってこそ

どんな局面においても、人がやっぱり大切。

そんなことを考えつつ、きょうは「Capability」という言葉について考えました。
辞書によると「1)能力、才能、2)素質、潜在能力、将来性、3)(物質の)性能」だそうです。
私が注目しているのは、2)です。

開発事業が、どれほど未開の潜在能力に寄与することができるのか、それを持続的に達成するために必要な手法は何なのか、既存の手法は果たして適切であったのか。


食糧危機で、物資供給、資金支援が多く叫ばれる中、FAO事務局長が「モノの支援だけではなく、施設や技術の支援も」と農業分野での開発事業の増強を謳っている。同局長によると、世界のODAにおける農業分野の占める割合が減少しているという。
Agriculture Developmentという冠がついていない事業でも、農業活性化を一部として取り入れている事業は多く、もしそういう事業が含まれていないのかもしれない。それでも、やはり農業セクター支援が減少しているのだと思う(統計的な裏付けまでは手が伸びていませんが・・・)。


私が閲覧しているニュースはほとんど日本のメディア記事ですが、そういった記事から、「相手国に対し」という相手国(の人々)へどのようなアクションを施すのか、というのが時に感じられないことがある。政策が、資金支援が、という恐らく表面に出てくるものに注目され、その政策が、資金が、世界のどこへ流れて・・・・ということまでは言及されていない。
読み手に私のように国際開発にこだわってしまう人がいれば、その人は自分でもっと掘り下げたり、何かアクションを起こしたりすればいいのだろうが(と自戒)、そうでない読み手の多くは、日本は資金支援をする、というところで止まってしまうのだと思う。

政府の掲げた政策や、資金や物資の支援が、相手国の人々へどのような形で届いているのか、人のCapabilityへどのように貢献しているのか(ちょっと無理矢理最初の話題へ戻しました・・・)、現実を広くお伝えすることができればいいな、と思う。
みんながみんな知りたい訳ではないと思うので、詳細は多少省いた方がいいと思うけど。


NGOはそういう点ではかなり進んでいる印象があるが、政府関連だと、どうしても固さがあったり、アクセス等に限界があったりする。あと、よい情報源があっても、他のことの中にうずもれていたり・・・・・

ちょっともったいない
( ̄-  ̄ )

(でもでもひとこと)
ただ、私がたまたま国際開発の分野で生きているから、開発のことを中心に考えていることが多い、つまり偏りが多少なりとも発生していることは注意を要すべきで、他の分野で生きている方々は、同じようなことをご自身の分野で考えているのだろう、と思う。
何事も、考え、意見するにはバランスが必要、ということか。

Friday, May 16, 2008

ひとのもつ威力を発揮させるには・・・?

適切な環境を整えること。

でしょう。
でも、そんなんじゃ、ありきたりです。
もっと具体的な提案をしなければ。提案は、さらに現実的でなければ。


国際開発の分野で、人々が生活を営む上で「豊かさ」「温もり」を実感できるよう、お仕事や研究を通して貢献したいと思います。

今日、Amartya SenのDevelopment As Freedomを(非常に非常に)遅ればせながら手に取りました。
やはり、上のようなことを実現したいと思うならば、人が持つ可能性などについて論じられているものを、もっと積極的に読まねばと思う最近です。
日々、研究や技術、世の中に蓄積されている知識は、拡がり増えています。



(。◇。)



転ばないようにね!

Thursday, May 15, 2008

自己満足からの脱皮

わずかな経験で得たものを、何とか応用させようと頭をひねってみたが、やっぱり所詮は、


自己流


でしかない。今やろうとしていることをDNAレベルで私が持っているかというと、甚だアヤシイ。私が、というより、そんなレベルで持っている人も相当限られているだろう。
ならば、後天的に、積み重ねるべし。ないものは、インプットを。


自己流から脱皮するために、先人たちの蓄積をしっかり取得すべく、今日から数日、研究の基礎をしっかりさせようと思います。知識の取得より、知識を料理するための「微塵切り」「お鍋磨き」「包丁研ぎ」(順不同)を先にすることに、砂上の楼閣の砂埃を立て始めたときに気付きました。





(・∀・)v

Wednesday, May 14, 2008

Linkage

身近なものと遠くのものをちょこっと近づけてみると、どうやら、遠くにあったものは結構身近なものカテゴリーに入るというのが、よく見られる現象のような気がする。

新しい研究分野として、研究としてというよりも、興味によるものだけれども、

どうすると人々の関心が国際協力へ導かれ、その導かれた関心は、どのように(経済的に)途上にある国々の人々の生活や豊かさ(精神的なものも含めて)へ繋がるのか

は面白いトピックだと思う。
でも、心理戦的な要素もあるから、マーケティングとかそういう色合いも入ってくるのかもしれない、こういった事象を調べるのには。

やっぱり開発は面白い。

Sunday, May 11, 2008

たべるもののオモテとウラ

世界的な食糧危機に対して、考えてみる。

食糧を「食べるもの」と訳してみる。
これに対する人々の理解は、非常に多様だと思う。その感覚は、その人たちの取り巻く状況の影響を多かれ少なかれ受けているだろう。

恐らく、日本を含めて、グルメ、という流行の発達している地域では、食べるものは娯楽の1つになりうる。そして、娯楽なので、その総量が減るということ、世間から規制されるということは、あまり人々の意識の中にないのではないかと思う。楽しみは、自分で取捨選択し、その摂取量をコントロールできるものである。
そして、その楽しみが「食文化」を形成し、食の多様化が生まれ、「食べるもの」を必要とする存在が増えるのだ。人間から、動物一般へ。動物を食べるものとして飼育する過程で、人間と同じく、「食べるもの」は消費される。草も、肉も。(そして、一部のニュースで報道されているように、牛が日常的に排出しているメタンガス増加が気温上昇の一因となっている、と環境問題にまで発展し始めている。)
このように、食べるものを摂取することが娯楽になっている地域において、世界の「食糧問題」は、遠いものだと思う。メディアでの喚起以外で、近づけるものの1つとして、「価格」だろう。
「世界的に食糧難だから、せめて、食べきれずに捨てる量を減らすために、購入量を抑えましょう」と思う人、と「食べるものの価格が上がっているから、購入量を抑えざるを得ないなぁ」と思う人、どちらのほうが多いだろうか。

日々の生活において、食べるものを獲得することが非常に重要な地域(どこでも重要であることは自明だけれど、日々の食べるものの獲得に困難を伴う地域のことをここでは指す)では、上のようなことは当てはまらない。そのような地域では、もはや「食べるもの」は、自身が生きる上でのLifelineになる。
そして、選択の余地は、狭められる。食べものを残す、選び取る、という選択肢はない。たとえ、栄養バランスが偏っていても。その栄養バランスの偏りが、人々の寿命のみならず、教育の享受レベルに悪影響を及ぼしていることが証明されていても、だ。


相当対照的な2地域が、世界に横たわっている。
前者が、世界の食糧を選びとって享受している。後者は、違う。

様々な観点からの究明が進められている。
その情報によって得られる解決策は、実際に投入される資源や政策、プロジェクトは、どのようなものになるのだろうか。

そんなことを考えつつ、ネットサーフィンをしてました。自分の研究とは関係ないと思ったり、切り離して考えたりしてはならない、と自分を戒めながら。私は人々の生活に注目しているのだから、直接貢献ができなくても、意識の中に納めておくことで、浮かび上がる何かがあるものだ。

Friday, May 9, 2008

開発という場

人々の生活をどのようによくするか、それが国際開発に参加する人間のミッションの1つだと思う。


では、どのようによくするのか?
そして、「よくする」とはどのようなことなのか?


そんなことが私の研究テーマです。
実際にプロジェクトに入って、ニーズの聞き取り調査をし、プロジェクトを形成するのと、そのよくあるプロセスを、既存研究などを参照しながら、その妥当性、改善の可能性を追及していくのは全く異なる。

少しでも「机上」からはみ出るような結論を以て、プロジェクトへ戻りたい。
そのためには、「生活の質」を、既存の社会の枠組み
(例えば、政府、地方政府、コミュニティ、家族、個人)の中でどのような位置づけにあるのか、吟味する必要がある。
そして、人々の生活に、少しでも「ホッと」できる空間を、開発事業を通して創出できるような働きをしたいものである。


そんなことを考えつつ、世の中は凄まじい勢いで変わっている。
生じてしまったことについて、どのくらい早く即効策を以て対応できるか、機敏さと瞬発力、がやはり開発には必要だと思う昨今。

長期的な視野で考えるべきことと、短期的な視点とパワーを要することのバランス。

Monday, May 5, 2008

「たべる」ものをどうとらえるか


ミャンマーで大型サイクロンが、その隣国タイでは食料難が襲っているというニュース@BBCを、昨日ジムでトレーニングをしながら見ていた。

もはや、どの地域にどのようなリスクが潜んでいる、という限定的なものではなく、世界的に多様なリスクを抱え込んでいるという認識を持たねばならないことを実感する。


どのようにそのような問題に個々の人間が対処できるのだろうか。


ココロで対応できる国際協力と、割り切りをもって対処すべき国際協力の二面性を感じる。
そして、「日々の食」に対してどのように考えればよいのか、現段階において明確なものはない。でも、それは、考え方の切り口のバリエーションが乏しい故ではないかと思う。

切り口のバリエーションを、増やしたい。

Friday, May 2, 2008

平ららかな和とボーダーレス

開発の勉強やそれに纏わる仕事に従事してきたけれども、平和という言葉の重要性を知り、その根底を知らねば、と思いつつ、それへのアクションを怠っていたような気がする。


平和、どんな言葉なのか。
そしてそれはどんな要素から成り立っているのか。
世界に平和が訪れる、それはどんな状態を表わすのか。


頭にぼわっとしたイメージが浮かぶものの、そこまで具体的に整理できてないなぁ。
「もともとの蓄積がない場合は、インプットをしなければならない」とは、恩師の言葉。まさに、それだと思う、この分野。

一方、昨年秋から、社会開発に関する分野をかなり横断的に勉強してきたが、たまに、国境の存在を疑問に感じることがある。
土地を統治するにあたり、国境は必要なもの。しかし、アフリカに見られるように、国境が民族も分けているかといえば、民族が分断されている、あるいは異なる民族が一括りにされて、国境の役割がその地域へ紛争を巻き起こしている場合もある。
そして、グローバル化(これも扱いやすく、扱い難い言葉だ)によって、一国が自前で何でもガンバルのではなく、国境を越えてのやり取り、つまり貿易や交渉、も活発化、というより不可欠なものになり、人の世界移動も多く見られるようになってきた。その一方、国境を超える移動をコントロールをするための法整備も行われている。


世の中には、矛盾に一見見えるものに満ちている。人々の言動もそうだ。
でも、一見矛盾に見えても、根源を探ると、矛盾ではなかったり、矛盾であることを認めなければ先に進めない場合もある。その違いは何か。


恐らく、将来を見据えた、その地域が達成したいゴールではないかと思う。
経済開発の達成、和平の獲得、などなど。

その地域の達成したいプライオリティを自分でつけることの大切さ、それを昨日の試験の最後に書いた。



そんな私も、大学入学後から、数種類のダンスをやってきた。
ダンスはボーダーレスなものだと思う。そして、そこに住まう人達が平和をほんの少しでも感じられるところでは、歌と踊りが存在していると思う。そういう取り組みもいいな、と思う最近。

Wednesday, April 30, 2008

国際協力という場で起こる小さなつぼみ、どこにある?


マダガスカル、パレスチナでは農村地域の女性所得向上と名打って、小さいながら、ある地域に特化したパイロットプロジェクトを担当させてもらった。
マダガスカルは入社1年経ったときのこと。そのときのリーダーや上司たちに感謝だし、パレスチナで関わった2案件のそれぞれのリーダー、副リーダーは本当にすごかった。いずれ・・・の目標は、あの方々だ。

マダガスカルでは改良かまどを、パレスチナではオリーブ石鹸を道具として、女性の生活向上支援を行った。その支援のやり方については、数々の先駆者たちの記録に到底及ばず、ここはカット。
その過程で発見したことと、国際協力におけるコミュニケーション(もはや、援助という、お金や技術を持っているか否かの分類を排除せざるを得ないので、この表現)の1つとして、

おしゃれ

が、あると思う。

おしゃれ、は個人の嗜好が左右するものだし、それは生活の付属的な位置づけになっている、と書面上は理解するけれど、どこの地域でも、女性たちは出来る範囲でキレイにしていて、丁寧にもてなしてくれる。
こちらも、砂埃とぬちゃぬちゃの泥の地面をわしわし歩くので、ピンヒールとかはあまり履けないけど、あとで拭けば何とかなるわと思って、出来る範囲での身支度で行くと、女性たちのチェックがしっかり入る(そして、ときにダメ出しされる・・・・・)。通訳を介してだけど、おしゃべりとか面白い。

男性もしかり。パレスチナはイスラム圏なので、男性たちは、会議などに出てくるとき、頭に巻く布や杖などにも気を使い、ジャケットをきちんと着こなしてくる


そして、一緒にわめく(はい、どうしようもなく紛糾してしまい、机をバンと叩いたこともあります・・・・)


政策的観点からみたら、本当にささいなものだけど、資金も何もつく問題ではなく、個人の考え方が大いに反映される事柄だけれども、こういう日常的に必要な装いなどでも、小さな小さなコミュニケーションは成り立ってくる。

そして、それが積もり積もると、ある時、突如花開くのだ。
知識の花だったり、ビジネスの花だったり、生活の花だったり。

インフラのココロ


支援金額拡大の他、民間企業との協力「官民パートナーシップ」もクローズアップされつつある現在の
日本ODA。支援金額の額面において、世界における順位を下げたという数値情報のインパクトは、大きかったことが窺い知れる。

「官民パートナーシップ」という言葉に出会ったのは、修士論文のとき。
そのときは、PFIという言葉が、日本の建設マネジメントにおいて、注目されていた。どのように民間企業とタイアップして、公共施設(ハコモノ)を安く質よく早く建設し、維持管理においても質(サービス提供のハコモノであれば、そのサービスの質も)を高めるか。

私は、そのときに既に途上国で仕事をしたかったので、途上国の電力セクターのおける官民パートナーシップの適用方法というお題で、官民パートナーシップというところへ入り込んだ(深みにはまった、というべきか)。コンセプトは、「そのパートナーシップで、一般市民がどれだけハッピーな結果を得られるか」で、そのハッピー基準は、どうしようもなく、電力料金・・・・・だけ( ̄δ ̄)ノ
メンターには、User-friendlyというかわいい名前を、研究タイトルの一部としてもらった。

最終的には、周辺環境や官民間の契約上に潜在しているリスク分担の分析に収束した。


日本のニュースをインターネットで見ていて、「ODAにおける官民パートナーシップ活性化」という言葉を見ると、自分のみた「官民パートナーシップ」と違うように感じる。政策的な面から掲げているテーマだからだろうか。私の研究は、一般市民の生活によりフォーカスするやり方なので、政策と市民間のギャップが大きければ大きいほど、そのギャップには、政治的、経済的、社会的不確定要素が多く存在するから、異なるように感じるのかもしれない。たまに、そういった要素が見えなくなる危険を、私の研究のやり方ははらむな、と気付く。


そのような研究を曲りなりにやって社会開発を学ぼうと決心を、とある恩人にお伝えしたとき、

インフラのココロを忘れないでください

といわれた。

最近、この言葉をよく思い出すのは、インフラ回帰の警鐘だろうか。

インフラは、広義にも狭義にも理解できるが、詰まるところは、よりよい社会を作るための道具、と相当大雑把に理解すれば、一応、まだ道を外してはいない・・・・・・なぁ

Monday, April 28, 2008

Social Protectionなるもの

Social Protectionとは何ぞや。
日本でいえば、社会保障制度、に相当するシステム。
日本の社会保障制度と、(経済的)途上国における社会保障制度(Social Protection)の違いは何だろうか。

後者のほうがより、生活の基本を守る、という色が強いようだ。そして、その守るツールとしては、やはり主産業の農業やそれに派生する産業から生み出される産物、例えば農産物を売ったお金、或いはそのお金をシードマネーとしたMicro Financeだったり、農業活動を共同ですることで生まれた社会ネットワークだったり。或いは、日常生活において必要最小限の食糧を購入するための補助金給付だったり。
地元コミュニティが、政府やドナーによる最初のInstructionと数サイクルのフォローアップで立ち上げ、自力で続けていく方法と、中央、あるいは地方政府の資金給付やモニタリングによって続く方法と。

両方の方法に賛否両論があると思うが(それをクリアにするのが、今の私の仕事ですが)、各政府のできることを最大限に活用しつつ、各市民の持つ力を自身の日常を守る力へ如何に繋げるか。
この世には様々な資源がある。でも、有限のものはすぐに消費へ着手され、いつもそれら資源を如何に持続可能に利用するかが話し合われている。無限に近いといえる資源はなにか、それは、この世に生きている人々そのものだと思う。だから、もし、自身の日常を守る力をパワーアップさせるのに必要な取り組みとして、社会保障制度が取り上げられるとしたら、私はできる限り、無限の資源を有効活用するよう、頭をひねりたいと思う(いま、ひねり中で、しかもここで気分転換中・・・・)。


話はそれますが、修士論文のために読んでいた、幸福と経済のペーパーでは、

人の幸福は、収入やその国の経済力に拠るところがあるが、それがすべてではない
(実際に、日本はGDPが前世紀後半でかなり延びているが、Life Satisfaction指数は大して伸びていないことが証明されている)
社会における自身のプレゼンスを大きく表せる程、自由度が高いほど、幸福度が高い。

という2点が指摘されていた。2点目はもっともだと思う。

生まれて育つ土地で、人の自由は大きく左右されるけれども、それは仕事でも見てきてやるせなくなることが多々あったけど、でも、有限の自由の中で、どこまでその自由を豊かに利用して、各人のもつ力を引き出すことができるか、その土地と一緒に考えるのはわくわくします。

その作業そのものが、Social Protection、といえる・・・・(かなり広義かも)?

Sunday, April 27, 2008

自分の立ち位置を確認してみよう

人の生きる社会は本当にいろいろな要素が絡み合っているので、開発へ取り組む上で、どんな形でどんなやり方でどのセクターで携わっていくのか、考えてみようと思っています。
(そうしないと、数年前の状況が再び起こりそうなので)

つまりメインの柱をがしっと立てて、サブ、サブサブな分野を拡げていくという段階にきているということでしょうか。

イギリスでは、サブやサブサブな分野を目一杯拡げてもらっている気がします。
先の投稿の農業、今抱えている課題の「Social Protection」もそうです。
でも、人間の生活「Lives and Livelihoods」という軸を自分は無意識にくずしていないなぁ、とポンと気づくときがあるので、きっとそこが私のメインの柱なんだと思います。

じゃ、人間の生活、という分野へどう踏み込んでいくか。
食糧?教育?保健医療?
全部大切なんですが、なにか違うような気がします。こう、頭でもくもくしている感じですが、それは修士論文を進める過程できっと明らかになるのだと思います。

修士論文はメインの柱強化につながりますが、残りの4ヵ月強、サブやサブサブな分野開拓にも励んでいきたいなぁ
おそらく、ここは、その分野における新発見の備忘録であり、メインの分野については付属的な感じなりそうな




そして、金曜日の試験「AgricultureはどのようにPoverty Reductionへ貢献できるか。その条件は?」にて書いた回答・・・・
時間配分を間違え、「条件」にあたる部分があまり自分としては納得いかないものになってしまった。

私の書いた回答は、簡単にいってしまうと、
農業セクターのPrimarySectorとしてのポジション強化を重視した政策作成、予算編成+(国内外からの)予算取り、International+Localマーケット形成とそこでの競争力強化において、Development Intervention(援助機関による支援事業)は不可欠である、というもの。他にも形容詞的な表現(Sustainableだとかそんなこと)を書いたと思うけど、忘れてしまった。


そうなのだろうか?
自分の書いた回答にいまさらダメ出しをするのはいかがなのかと思いつつ、考えてしまう

支援を如何に受けることができるか、その戦略などを考えるのは、経済的途上国が自国の経済レベルを(底)上げするために必要だと思うけど、当然のことながら、それだけでは続かない。自身をどのように保護し、保護しきれないものは何なのか考える過程が大切だ、とはいえるが、それは如何にも机上の論理っぽい。


今の食糧危機について考えたら、まだそれに関するインプットが追い付いていないので、また頭がぐるぐる
ヽ(  ̄д ̄;)ノ

Friday, April 25, 2008

貧困削減のまわりにあるもの。

明日はテストなのですが、いきなり第2日目で挫折というのもちょっと・・・なので、ひとことだけ。

テストのテーマは、How will agriculture offer a route out of poverty for individuals and nations? が一つと、What conditions can governments expect agriculture for national development goals?がもう一つ(実際とは異なります)。

私は、AgricultureとPoverty reductionの繋がり(前者が後者へどう貢献しているのか)を、Food SecurityとEconomic growthの点からみた議論を準備した。何事もつながっている、すなわち、この二つも勿論つながっている。ちょっと主観的にタイピングをすると、この二つの視点が、犬が駆け回るように、同じことをくるくると行きつ戻りつしてしまう。
如何にきれいに紐を整えながら、この二つに事象を丁寧に分けて説明するか、がポイントだろう。

この繋がり方は単なる一例で、他の事柄ももつれるように繋がっていることが分かり始めてきたから、国際開発に関連することを幅広く抑え、さらにこのような記録をしてみようと感じたきっかけではないだろうか。

社会科学を学ぶ上で厄介なのは、恐らく私が理系故なのかもしれないが、ひとつひとつのWordが、節が、文章が、どのような意味を示しているのかを正確に読み取る(Interpretation)こと。


どのように議論をしたのか、それは、今後メモを重ねていこうと思います。

Thursday, April 24, 2008

はじめまして、こんにちは。


こんにちは

イギリス レディングに、「社会開発」を勉強すべく、留学中のRikaです。

日本人で、国際開発について、ご自身の見解や日々アップデートされる情報を発信なさっている方々に巡り合う中で、私も、何か「日本人として、国際開発というテーマで、日々の気づきや得た情報を発信してみよう」と思い立ちました。


国際開発は、他の事象と同様、とてもいろいろな物事が絡まり合っています。
その全てを1人の人間がカバーする、というのは難しいと思いますが、知識と経験のネットワークを拡げ、ネットワークを如何なる深度であれ共有できた人々がいて、やっと1つの事が途上国へ為されるのだと私は思います。
いま、私は、世界に張り巡らされているネットワークに少しでも近づけるよう、情報の得方とその発信方法について、考えてます。この留学で得た知識は、どのようにして、社会へ還元していけるのかなぁ、っと。


自分の考える幅と深さと広がりを求めて、わしわしレディングを歩きまわっている日々です。


よろしくおねがいします