Monday, April 28, 2008

Social Protectionなるもの

Social Protectionとは何ぞや。
日本でいえば、社会保障制度、に相当するシステム。
日本の社会保障制度と、(経済的)途上国における社会保障制度(Social Protection)の違いは何だろうか。

後者のほうがより、生活の基本を守る、という色が強いようだ。そして、その守るツールとしては、やはり主産業の農業やそれに派生する産業から生み出される産物、例えば農産物を売ったお金、或いはそのお金をシードマネーとしたMicro Financeだったり、農業活動を共同ですることで生まれた社会ネットワークだったり。或いは、日常生活において必要最小限の食糧を購入するための補助金給付だったり。
地元コミュニティが、政府やドナーによる最初のInstructionと数サイクルのフォローアップで立ち上げ、自力で続けていく方法と、中央、あるいは地方政府の資金給付やモニタリングによって続く方法と。

両方の方法に賛否両論があると思うが(それをクリアにするのが、今の私の仕事ですが)、各政府のできることを最大限に活用しつつ、各市民の持つ力を自身の日常を守る力へ如何に繋げるか。
この世には様々な資源がある。でも、有限のものはすぐに消費へ着手され、いつもそれら資源を如何に持続可能に利用するかが話し合われている。無限に近いといえる資源はなにか、それは、この世に生きている人々そのものだと思う。だから、もし、自身の日常を守る力をパワーアップさせるのに必要な取り組みとして、社会保障制度が取り上げられるとしたら、私はできる限り、無限の資源を有効活用するよう、頭をひねりたいと思う(いま、ひねり中で、しかもここで気分転換中・・・・)。


話はそれますが、修士論文のために読んでいた、幸福と経済のペーパーでは、

人の幸福は、収入やその国の経済力に拠るところがあるが、それがすべてではない
(実際に、日本はGDPが前世紀後半でかなり延びているが、Life Satisfaction指数は大して伸びていないことが証明されている)
社会における自身のプレゼンスを大きく表せる程、自由度が高いほど、幸福度が高い。

という2点が指摘されていた。2点目はもっともだと思う。

生まれて育つ土地で、人の自由は大きく左右されるけれども、それは仕事でも見てきてやるせなくなることが多々あったけど、でも、有限の自由の中で、どこまでその自由を豊かに利用して、各人のもつ力を引き出すことができるか、その土地と一緒に考えるのはわくわくします。

その作業そのものが、Social Protection、といえる・・・・(かなり広義かも)?

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