Wednesday, April 30, 2008
インフラのココロ
支援金額拡大の他、民間企業との協力「官民パートナーシップ」もクローズアップされつつある現在の
日本ODA。支援金額の額面において、世界における順位を下げたという数値情報のインパクトは、大きかったことが窺い知れる。
「官民パートナーシップ」という言葉に出会ったのは、修士論文のとき。
そのときは、PFIという言葉が、日本の建設マネジメントにおいて、注目されていた。どのように民間企業とタイアップして、公共施設(ハコモノ)を安く質よく早く建設し、維持管理においても質(サービス提供のハコモノであれば、そのサービスの質も)を高めるか。
私は、そのときに既に途上国で仕事をしたかったので、途上国の電力セクターのおける官民パートナーシップの適用方法というお題で、官民パートナーシップというところへ入り込んだ(深みにはまった、というべきか)。コンセプトは、「そのパートナーシップで、一般市民がどれだけハッピーな結果を得られるか」で、そのハッピー基準は、どうしようもなく、電力料金・・・・・だけ( ̄δ ̄)ノ
メンターには、User-friendlyというかわいい名前を、研究タイトルの一部としてもらった。
最終的には、周辺環境や官民間の契約上に潜在しているリスク分担の分析に収束した。
日本のニュースをインターネットで見ていて、「ODAにおける官民パートナーシップ活性化」という言葉を見ると、自分のみた「官民パートナーシップ」と違うように感じる。政策的な面から掲げているテーマだからだろうか。私の研究は、一般市民の生活によりフォーカスするやり方なので、政策と市民間のギャップが大きければ大きいほど、そのギャップには、政治的、経済的、社会的不確定要素が多く存在するから、異なるように感じるのかもしれない。たまに、そういった要素が見えなくなる危険を、私の研究のやり方ははらむな、と気付く。
そのような研究を曲りなりにやって社会開発を学ぼうと決心を、とある恩人にお伝えしたとき、
インフラのココロを忘れないでください
といわれた。
最近、この言葉をよく思い出すのは、インフラ回帰の警鐘だろうか。
インフラは、広義にも狭義にも理解できるが、詰まるところは、よりよい社会を作るための道具、と相当大雑把に理解すれば、一応、まだ道を外してはいない・・・・・・なぁ
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